VOL.9


短編小説『鷙の爪』

毎年 梅雨明けのこの時期になると、僕の注文が“ホット”から“アイス”に変わる。
付きあいの長い、この店のマスターもよく覚えてくれているようだ。
「Kou、アイスでよかったよな。」
まだ注文もしていないのにアイスコーヒーが僕の前に出された。
「さすがマスター! わかってんじゃん!」僕はマスターに笑顔で応えながら、いつものようにガムシロップをたっぷりと注ぐ。
カウンターの中で洗い物をしていたキャシーが泡の付いた手で僕を指しながらカウンター越しに大声で口出ししてくる。
「おい、エカニ! そんなにシロップ入れたらトーニョービョーになるゾ。」
こいつはいつもこの調子だ。
キャシーがこの店でアルバイトをするようになって半年がたつ。
初めて会った時は、そのブロンドのショートヘアーにくりっとしたブルーの瞳で少年のような笑顔で話す彼女にドキッとしたものだが、
こいつの性格を知ってしまった今では“もう少しおしとやかな奴だったらなぁ…”と、僕はため息をもらすようになっていた。
「お前なぁ〜 そんな難しい日本語覚えるんだったら、先に俺の名前をまともに呼べるようになれよ。」僕はグラスの底に溜まったシロップをストローでかき混ぜながらキャシーに言い返す。
「エカニはエカニじゃん!」キャシーはケタケタと笑いながら答える。
「あのなぁ、俺の名前は柄上コウジだってんだろ! エカミだ! エカミ! カニじゃねーよ!たくっ 最初にお前がこの店に来た時に俺の名刺をくれてやっただろーが!」
ほんと、こいつとしゃべっているといつも調子が狂う。

そんな僕とキャシーのやりとりをそばで聞いていたマスターがキャシーの味方をする。

「コウ、キャシーは日本に来て半年しか経っていないのにこんなにも流暢に日本語が話せるんだぞ。さすがに漢字は読めないが、平仮名や片仮名まで読めるなんてたいしたもんだと思わねーか?」
「そりゃ、馬鹿ではないだろうけどさ、だからといって今だに俺の名前をまともに発音できないようじゃ決して頭がいいとは言えねーよ。」
僕はグラスの中の氷をストローで突きながら答えるのだった。

「ところでコウ、調子はどうよ?」
マスターはスポーツ新聞を広げながら僕に聞いてくる。
マスターのいう“調子”とは決まって僕の愛車ハーレーの事だ。
自らハーレー乗りであるマスターの奨めで僕はハーレーを購入したのだが、ハーレーは日本車やドイツ車のように優等生なオートバイと違って、
走るたびにどこかのボルトが緩んだり、ひどい時は走っている最中に突然タンクが落下したりなど考えられないようなアクシデントを引き起こしてくれるのだ。
「やっぱ、あいつは遅いし、すぐ壊れるし、本当扱い辛いわ」と僕が答えると、
マスターはお気に入りのパイプを吹かしながら言うのだった。

「コウ、ハーレーのエンブレムに何故“鷙”が使われているか知っているか? 日本のことわざにもあるだろう“能ある鷙は爪を隠す”って。頭の良い奴ほど日頃それを表に出さないものなんだよ。
ハーレーも一緒で性能的には本当はかなり高いポテンシャルを秘めているんだ。つまりハーレーを扱う人間がその隠された素晴らしい性能を引き出せるかって事だ。
ハーレーの隠された“爪”に気づいてないうちはまだまだ半人前のライダーって事なのさ。」

洗い物が終わったのかキャシーが濡れた手をタオルで拭きながら口をはさんでくる。

「エカニー!  バイクのチョーシ悪いのか?」
「ああ、おめーと一緒でアメリカ製はいい加減に出来てるよ!!」と僕が返すと、
キャシーはその整ったまゆ毛をつり上げて反撃してくる。
「ナンだとー! 女の扱いと一緒でエカニの扱い方が悪いんだよ! だからいつまでたってもエカニにはガールフレンドの一人も出来ないんだ!」
軽くジャブを出したつもりが、反対に強烈なストレートで返された僕はマスターに助けを求める。
「ねぇ〜マスター! この感じ悪い店員クビにしてよー!」
「コウ、おめーが言い過ぎなんだよ。 キャシーはウチの看板娘なんだし、そう簡単にクビにできるかよ!」
パイプの灰を灰皿に落としながらマスターは答えるのだった。
「だけどな、コウ、キャシーは来週 カリフォルニアに帰っちまうんだ… あ〜 この店も寂しくなるなぁ〜 」とマスターは読み終えた新聞を折り畳みながらこぼすのだった。
「何お前、国に帰るの?」
僕はキャシーに尋ねた。
「まーね、最初から半年だけの留学ってパパとママとの約束だしね。 しょーがないヨ。 そうだ! エカニ! お前もカリフォルニアに来い!」
「ばーか! おめーには興味ねーよ! でもカリフォルニアか… 一度だだ広れーアメリカをあいつで走ってみてーんだよな〜」と僕は窓の外にたたずむハーレーを見ながら言うのだった。

すると、キャシーは思いだしたかのように口をとがらせて僕に言う。「おい! エカニ! 前に約束しただろ〜 お前の名前が言えるようになったら一度オートバイに乗せてくれるって〜」
「そうだっけ? でも今だにお前は俺の名前をちゃんと言えてねーじゃん。 お前が国に帰るまであと何日あるか知んねーけど、ちゃんと言えるようになったら乗せてやるよ! 
まぁお前には一生かかっても無理だろうけどな。 はっはっは!」僕はここぞとばかりに返してやった。
怒ったキャシーは「ケチッ! エカニなんてアバズレ女を乗せて事故って死んじゃえ!」と吐捨ててカウンターの奥に引き込んだのだった。
「お前なぁ〜  どこでそんな言葉覚えて来るんだよ。 ほんとお前の周りにはロクな奴いねーな。」
僕はちょっと言い過ぎたかなっと思いつつ、アイスコーヒーの代金を払って店を後にした。



結局キャシーは最後まで僕の事をエカニと呼び続けたのだった。
キャシーがカリフォルニアに帰ってから二ヶ月が経っていた。
あいつがアメリカに旅立った後すぐに僕はオートバイで事故を起こして一ヶ月間の入院生活に入っていたおかげでこの店に来るのも久しぶりだった。
店の前にハーレーを停め、店内を覗き込むと、めずらしくマスターは忙しそうにカウンターの中で客の注文に追われていた。
僕の姿に気づいたマスターは「よう!」と声を掛けてくれて、カウンターの右端の僕の指定席に水を出してくれた。
マスターはアイスコーヒーを煎れながら僕に尋ねる。
「で、コウ、もう乗れるのか?」
「おかげさんで、何とか乗れるようになったよ。 マスターこそ最近は忙しくて乗れてないんじゃない?」
「そうなんだよ〜 キャシーが辞めてからは俺一人でこの店の番をしてるからな〜」
マスターは僕にアイスコーヒーを出しながら言うのだった。
「あっそうだ、コウ、お前宛にキャシーから手紙が届いてるぞ。」と言ってマスターはカウンターから一通のエアメールをペーパーナイフと一緒に手渡してくれた。

ベージュ色のとてもシンプルなデザインの封筒はあいつらしい選択だ。
僕はペーパーナイフを使って封を切る。
封筒から出てきた手紙は、驚いたことに、短いながらもキチッとした日本語で書かれていた。
「あいつ、やるじゃねーか…」僕はつぶやきながら手紙に目を通した。

「そう言えばコウ、結局キャシーは最後までお前の名前をうまく発音できなかったよな。 やっぱり、外人にはどうしても発音できない日本語があるんだな。」とマスターは思い返すようには言うのだった。
手紙を読み終えた僕はマスターに向かってこぼす。
「いや、あいつは思ったよりも頭いーわ。最後まで“爪”を隠してやがった…」 
僕はジーンズの後ろポケットに手紙をねじ込みながら席を立つ。
「なんだ、もう帰るのか?」マスターは今来たばかりじゃないかというような感じで聞いてくる。
「ああ、帰って旅の仕度するわ。 約束だったしな…」
僕は笑いながら自分のヘルメットを指ではじいた。

店を出て空を見上げると、一本の飛行機雲が僕がこれから向う西の空へと続いていた。
僕はハーレーに跨がりエンジンを掛け走り出す。
大通りに出ると街路樹から短く途切れるように聞こえる蝉時雨が夏の終りを告げていた。



Dear  エカニ

元気か? 何してるんだ、早くカリフォルニアに来いよ!特別に美味いアイスコーヒーを煎れてやるからさ。
もちろんシロップは抜きだ!
それと、こっちはオートバイを走らせるのに最高な道がいっぱいあるぞ。 お前の後ろに乗せてもらおうと思ってお前と色違いのヘルメットも買ったからさ。
早く乗せに来い!

PS. なぁエカニ、私が一番最初に覚えた日本の漢字って何だと思う?
お前がくれた変な名刺に書かれた『功二』っていう字だよ。

                  Kathy  Horsefield

                                                                                                   Vol.10